「れる」とか「られる」とか

その上でフィギュアになった少女の写真を母親に送りつけ、ここでもまるでモノをやり取りするかのように「娘はもらった」という言葉を使っている。これまでの誘拐犯なら「娘はあずかった」だ。

 さすがにこれは穿ちすぎな気がするな。以前は誘拐事件の定番だった「娘はあずかった」って表現だけど、今の若い人間がそこまで意識しているかどうか……。今時の国語能力や会話の変化を考えると、この程度の言い方の違いは物証とならない気がするんだけどね。